大人のアプリ広場

著:吉田幸助氏

人はイメージで数多の真実を見失う生物である『つみ城』第16回 18年02月更新

イメージと違う

勝手にイメージを作った我々が悪いと言われればそれまでなのですが、人は一度作ったイメージからなかなか抜け出すことができません。あるタイミングで醸成されたイメージはそのまま意識下に深く居座り、その後真実を突き付けられたとしても、多くの場合は『最初のイメージの呪縛』から抜け出すことができません。哀れな生き物です。

以下、筆者の思う『イメージ違い』をいくつか紹介します。

◎筆者個人的に思うイメージと真実の相違:恐竜に毛

筆者の中でもうどうしようもないレベルなものが『恐竜に毛』なのです。恐竜=巨大なトカゲのイメージが強いですが、どちらかというと鳥に近い種類。更に最近では、体毛が生えていたという学説がかなり有力で、科学的にほぼ立証。恐竜に毛が生えていた説は動かしようのないレベルまで来てしまっております。ほぼ確定。

本音ですが、今更『毛があった』と言われても困ります。

筆者のような40代中盤世代にとって、恐竜はちょっと特別な存在なのです。少年時代に見た未来から来たネコ型ロボットが活躍するアニメ作品の初代映画版のモチーフは『恐竜と古代期』で、その頃ちょっとした恐竜ブームでもありました。

作中獰猛に暴れる『ティラノサウルス(通称T-rex)』は、ストーリー展開の上でも大変重要で、暴れ狂うティラノサウルスの強烈な印象は、僕ら少年達の心を激しくときめかせてくれました。

特にこの『ティラノサウルス(通称T-rex)』は全恐竜の中でもかなり特別な地位で、映画やイラストでも度々登場。最強+獰猛+最強捕食者ときたらT-rex(ティラノサウルス)ですよね!と言えるぐらい、人間界でもう『後戻りできない確固たる地位』まで登りつめてしまっております。

それが毛が生えいてたなんて…

筆者はその初めて見たティラノサウルスの復元イラストに愕然としました。全体に毛がフサフサならまだ許せるものの、頭のあたりに微妙に毛が乗っているような、実に間の抜けた印象。平たく言いえば『モヒカン』。しかも何とも微妙な色(紫と緑の中間)までついております。『モヒカンにしようと思ったが最後までやり切る勇気がなく途中で挫折した上、床屋のおじちゃんに変な色に染められてしまった田舎ヤンキー』にすら思えます。

人間界における『モヒカン』とは、伝統的に『雑魚キャラ』であり『やられキャラ』であり、王者T-rex様がするような髪型ではありません。

ただ、復元イラストとはいえ科学的考察に基づき作成されるものであるため、実際のT-rexが『微妙モヒカン』であった可能性は否めない。寧ろこちらが真実である可能性は高い。(もちろん諸説あります)

将来僕らは、微妙なモヒカンT-rexを受け入れなければいけないのかもしれません。ただ、せめて毛の色は金色とかにして欲しい。王者の風格が欲しい。緑とか絶対にやめてください。

◎筆者個人的に思うイメージと真実の相違:大阪城

『ティラノサウルス(T-rex)』同様、自分の中で強烈なイメージ落差を感じたものが大阪城でした。大阪の方に一切の恨みはありませんが、大阪城=伝統と歴史的息吹を感じる荘厳な巨大木造建築物を想像していた筆者は、その中の近代的な事実(鉄筋コンクリート&エレベータ完備)に驚愕しました。もちろん大阪城に一切罪はなく、一切の事前調査をせず妄想だけを拡げてしまっていた自分に全て問題があります。

大阪城に関しても少年時代の思い入れがありました。

自分が小学生だった頃(1985年前後)は、子供の間で軽い忍者ブームでした。忍者をモチーフにした漫画作品が数多く登場したのもその頃。少年だった筆者は、甲賀忍者を束ねていた(とも言われている)真田幸村に興味を持ちました。真田幸村関係の本を読み漁っていた記憶があります。

真田幸村といえば大阪冬の陣・夏の陣。つまり大阪城には特別な想いがありました。

筆者の印象ですが、真田幸村は1980年代当時、そこまでメジャーじゃなかったように思います。まわりの友達は誰も知りませんでしたし、あの頃長編時代劇などで取り上げられていたのは、家康、秀吉、信長の3人。真田幸村はどちらかというと日陰。

筆者が大阪城を訪れたのは、幸村に憧れた少年時代から30年近く歳月が流れた時でした。近代的な内装、エレベーターなどの近代的な設備。訪れた時のイメージギャップを受け入れるのに暫く時間がかかりました。これも時代の流れ、そんな切なさすら感じました。

そんな大阪城、よくよく調べてみたら今の大阪城天守閣は、昭和になって復興された建造物のようですね。そう考えれば安全面、費用面から考えても鉄筋コンクリート造りなのも納得できます。

更に細かい話ですが、大阪城の歴史をダイジェストで記載すると、

・秀吉が大阪城築城
・戦勝者家康が破壊
・家康の息子(秀忠)が幕府の手で再築

ちなみに家康の息子(秀忠)は、豊臣期の大坂城の上に盛り土をして(つまり全部一度土に埋めて)、その上に江戸時代版大阪城を築城したそうです。つまり今も地下には秀吉時代の大阪城が埋まっている。

更に、江戸時代版大阪城は秀吉時代とは少々デザインが違っていたようです。

ただ、江戸時代版大阪城天守閣も築城から僅か39年後に焼失。理由は落雷。ホントにこの城はよく壊される…。その後かなり長い間、天守閣不在なまま時は流れる。

そして266年後の昭和3年(1928年)!当時の大阪市長 関一(せきはじめ)氏の命で、大阪城天守閣が復興!…というのがかなり大雑把ではありますが大阪城の歴史。

昭和3年(1928年)当時、『鉄筋コンクリート』はかなりの先端技術で、資金も市民へ寄付を募るなど、近代的社会システムの元、建立されました。ちなみに当時集まった市民からの寄付は現在の価値で750億円!

権力者が支配力と権威を対外に示す目的でなく、市民の大阪を愛する気持ちを形にした『今の大阪城天守閣』。素敵です。

それを知ると、今の鉄筋コンクリートの天守閣も愛らしく思えます。市民の強調のシンボルです。素晴らしい!

ちなみに細かいことですが、今の大阪城天守閣のデザインは、秀吉時代の天守閣を模しているようです。ただ、石垣は江戸時代版大阪城に近いとのこと。少々複雑ですね。

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